(編)伊藤邦雄 石井淳蔵
価値創造フォーラム21
安倍政権の誕生以来、「アベノミクス」と称されるマクロ政策によって、株価をはじめとする資産価格が上昇し、閉塞感に覆われていた国民の気持ちに明るさが見られるようになった。企業の収益面でも、二〇一三年度の上場企業の収益性はリーマン危機前の水準に近いところまで回復した。
ただ、一方で現況を「実体なき熱狂」と危ぶむ見方もある。「熱狂」かどうかは別としても、経済の「実体」がついてこなければ、持続的成長は覚束ない。では、「実体」とは何か。間違いなくそれを構成する中核的要素は日本企業の実力、すなわち競争力である。企業活動が活性化し、ヒト・モノ・カネが豊かに循環してこそ、経済は持続的に力強いものとなる。とりわけ、経営のグローバル化がますます進み、激烈な競争がグローバル市場で展開されている今日、日本企業のグローバル競争力が真に問われている。
もちろん各企業は、そうした激烈な環境の中で、もだえ、苦しみながら、汗を流し、努力を続けている。リーマン・ショックや東日本大震災に直面しながらも、日本企業がそれを乗り越えて存続できたのは、そうした努力によるところが大きい。しかし、各企業の奮闘が文字通り「孤軍」に終始しているとすれば、それは辛いことである。それを和らげる手立ての一つは、市場競争の中で優れた成績を残してきた企業群の先進事例や、それを推進してきた経営者の知恵や慧眼に、各企業や経営者が接し共有することができる機会を提供することであろう。そうすれば、各企業(経営者)は自社の経営をそうした範とすべき事例と相対化し、また位置づけることで、孤独から解放され、勇気をもつことができるのではなかろうか。本書は、そうした願いから編まれたものである。
本書が生まれた経緯について少し触れておこう。起点は一九九八年四月に発足した「価値創造フォーラム21」に求められる。「価値創造フォーラム21」は価値創造の理念、価値創造の戦略、価値創造の実行の三つを柱に、今日まで新たな時代の企業理念、経営哲学や企業活動のあり方について研究してきた。
その後、「価値創造フォーラム21」に加えて、新たに「次世代リーダー育成塾」が創設された。企業が健全な事業活動を通して社会に貢献し続けるためには、企業価値追求の姿勢や共生・共創の精神などを、世代を超えて継承し続けることが必要であると考えたからである。リーマン・ショック直後の二〇〇八年一一月に第一期「価値創造リーダー育成塾」が発足し、その成果物として日本経済新聞出版社から『経営の流儀—次世代リーダー育成塾』を出版した。
第二期は二〇一一年一二月に開講された。第二期も第一期と同様、約一〇〇名の未来を担う若手のリーダーが参加した。育成塾を通じて、価値創造理念の共有と伝承、次世代を担う人材の横のつながりを実現するプラットフォームの構築が図られた。本書は、第二期「価値創造リーダー育成塾」の成果をまとめたものである。
本書は全体が大きく二つの部から成る。第Ⅰ部でグローバル経営に焦点を当て、第Ⅱ部は経営が拠って立つべき価値創造に着目している。それらの基本的メッセージは、経営には「作法」や「型」があるというものである。無手勝流に経営するのではなく、作法や型に凝縮された「知」を取り入れることで、経営を進化させることができる。
日本企業は急激に進んだグローバル化に遭遇して、拠るべき経営の軸を見失いかけているようにも見える。場当たりの経営は一見、柔軟なようにも見える。しかし、そこには経営者と社員とが共有する価値観が欠如し、力強い価値創造力は生まれない。
振り返れば、日本には歴史にもまれながら、長年にわたって蓄積されてきた優れた知の伝統がある。刀剣の世界である。それは日本人の作法と心魂の相乗美でもある。
日本刀は「折れず」「曲がらず」「よく斬れる」という三つの特徴を持つ。
「折れず」は刀が柔らかいということ、「曲がらず」は刀が硬いということである。そして「よく斬れる」ということは、刀が硬く全体のバランスがよくとれているということである。
しかし、ここには相反する矛盾が存在する。「折れない」ためには鋼は軟らかくなくてはならない。逆に、「曲がらない」ためには鋼は硬くなければならない。この矛盾を解決したのが、炭素量が少なくて軟らかい心鉄を炭素量が多くて硬い皮鉄でくるむという方法である。それによって見事に「折れず」「曲がらず」を実現し、全体のバランスがとれている「よく斬れる」という三つ目の特徴を実現することができるのである。
これこそが日本刀製作の作法であり、神髄である。その結果、日本刀は世界から賞賛される代表的な武器となったのである。日本刀は、鎧や鉄砲の銃身も斬り、石灯籠まで斬ったとさえ言われる。そして、この刀剣技術が今日、東京スカイツリーの構造体に見事に生かされている。
グローバル化を進める日本企業の姿は、日本刀の世界と重なる。日本企業もその製品に自らの強みを押し出しすぎれば、しなやかさを失い折れてしまう。だからといって、海外現地の事情を考慮しすぎたモノづくりになって自らの強みを見失えば、硬さを失い、曲がりやすい刀になってしまう。両者の矛盾を克服した「よく斬れる」バランスのとれた強みを構築できれば、日本企業のグローバル競争力は磨かれ、確固たるものとなろう。
折れず、曲がらず、よく斬れるという独自の特徴をもつ日本刀の技術は、日本人が戦闘の度に自身の力を見直し、強靭さを求めて改良を繰り返した末に現在の形に造り込まれた。しかし、その詳細は各地の伝説や神話、民話の形でしか残されておらず、その作刀等の技法は「他言無用」「一子相伝」などと厳密な管理のもとに置かれてきた。それでは後世に伝承され、発展していくのは難しい。
本書は経営の作法という知を「秘伝」の世界から開放し、共有したいという願いのもとに編まれたものである。
最後になりますが、執筆者の皆様、そして次世代育成のために熱い思いをもって協力していただいた経営リーダーの方々に、あらためてこの場を借りてお礼を申し上げたい。
二〇一三年八月
伊藤邦雄
石井淳蔵